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zoom RSS 福沢諭吉の脱亜論

<<   作成日時 : 2016/04/03 15:24   >>

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ザ・ボイス 0331 青山繁晴」について

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。福沢諭吉さんの「学問のすすめ」の冒頭にある言葉です。人間はすべて平等であって、身分の上下、貴賎、家柄、職業などで差別されるべきではない。(基本的な意味においては納得です)生来、人は人としての存在自体は平等です。ただこの一節には、その後に「といえり」という言葉が続きます。つまり諭吉さんの言葉ではなく、もとはアメリカの独立宣言からの引用文のようです。

さらにこれだけで完結しているのではなく、後の文章で実際には「人の世は平等ではない」と断言しています。
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ではその違いはどこから生じるのか? それは学問をしたかしないかによって生じる。で、「学問のすすめ」になるんですね。この学問というのはもちろん学校の勉強だけではありません。人生のあらゆる場面で様々なことを学ぶ。諭吉さんは「この学問というのはいわゆる机上の勉強に終止するものではなく、世を渡るのも、商売の帳簿をつけるのも、時代の情勢を見つめるのも「学問」としている。

人は皆平等。ただこれだけで終わってるのなら、残念ながら今の日本の頭お花畑の知識層、平和が大切、いじめ、差別はよくありません、だから止めましょう、とさも偉そうに上から目線でつぶやいてるだけの? 現実を見つめない?連中と大差はありません。

現実には争いもいじめも差別も社会の様々の場面の中で依然としてあります。そして普通に世の中に生きていれば、そのような体験は多かれ少なかれしているはずです。人の歴史が始まって以来このかた、無くなったことなどないと思います。

だからといって、もちろんそれでいいというつもりはありません。でもつぶやいてるだけで平和になり、いじめが無くなり、差別がなくなるのなら、こんな簡単なことはありません。私は平和主義者で争いはしません。そういう私には、世の中の人も私を責めたり争いを起こしたりはしないだろう。自分さえ争いを起こさなければ、争いには巻き込まれない。憲法9条を信じてる人の頭の中はこういう論理なのでしょうか? それも大の大人が、それも日本ではいわゆる知識層という連中が、こういう考え方の人が多いようです。

この世界はいつ何が起こるかわかりません。そのために皆さん保険に入ってるのではありませんか? 国同士だって同じです。自分は争いを起こさないといっても、いつどんなことに巻き込まれるかわからないのです。そう言う有事に備えて、最低限、国を守る具体策、具体物を準備しておくことは、独立国の一国として当然のことではないのでしょうか? 起こってしまってからあたふたしても遅いのです。保険に入ったからといって、別にいますぐ災害に遭うとか、そういうことではありません。いつ何が起こるかわからない現実に対して、有事に備えて準備しておく、そういうことです。なのにこの法案が通ったら、まるでいますぐ戦争が起こるような解釈で、戦争反対とか、戦争法反対とか。あるいは戦争をできる国にするな、とか。身を守るためには戦わなくてはならないこともります。

戦いは嫌いだからさっさと逃げるとか、服従するとか。日本になんてそんなに愛着持ってないからとか。(自由ですが)でも愛着を持っていようがいまいが、日本人に生きる自由と保証を与えてくれるのは日本国です。そのためにはもちろん納税の義務もあります。
逃げてどこで暮らすのですか? 難民として生きていくんですか?

現実をきちんと見つめないで、自分に都合のいいことだけを見て、都合のいいことだけを信じて、都合よく解釈する。それはただの独りよがりです。現実を正しくきちんと見つめ、その現実によりよく対応するにはどうすればいいのか、頭を使い、試行錯誤を繰り返し、改善したり努力したりしながら、よりよい対応を行う。それこそが学ぶということだと思います。 

今の日本の知識人と諭吉さんの違うところはそこだと思います。諭吉さんはしっかりと現実を見つめています。その諭吉さんは「脱亜論」などを通じ、朝鮮と中国について、こう診断をしています。

この近代文明が押し寄せてるのに、外見の虚飾ばかりに拘り、ことの心理を見極めようとしない。道徳的に退廃して「いつも悪いのは自分たちではない」と開き直って恥じることもない。

昨今の一部の民族に対するヘイトスピーチ止めろ、差別止めろ、差別反対、と声をあげている方々についても、ちょっと通じる面があるような・・・。基本姿勢がまず悪いのは自分たちではない、差別するほうが悪い。その通り、差別はよくありません。ただ差別、差別と騒いでいますが、これってそもそも差別なの? と疑問。
正直なところ、ただひたすら相手が悪い、周囲が悪い。俺は悪くない。周囲が改めろ。つまり俺様のためにお前らが変われ、と言ってるような…。差別という言葉を使って、あるいは利用して? 自分たちの言い分だけを相手に押し付けてるような…。
自分がやったことは棚に上げ、反省もせずに、そのことを指摘されると、差別だ、謝れというのは、ただの自分勝手です。俺様を批判するな、それは差別だぞ。えっ? と思ってしまいます。悪いことを悪いと指摘するのは差別なのしょうか?

差別だ、差別だとわめく前に、少しは差別されない努力をしたらどうだ、と言う人もいます。 逆にされない努力をしろって話www 尊敬されるような行動してたら、日本人は絶対文句をいいません。

事実を見つめてそこから学ぶ態度は必要です。反省とか改善とかがなければ進歩は生まれません。ただひたすら俺は悪くない、相手が悪い、周囲が悪いでは。


「脱亜論」


1)過去にだけ縛られ、国際紛争などが発生したとき「すべて相手が間違っている」と言って恥じることがない。この二つの国に国際常識を期待するのは無理だ。

2)国際法や基本的なマナーを無視することを恥じない二国と日本が、近隣の関係として同一視されるのは大きな不幸である。

3)二国を相手にするときは、明確に国際法に基づいて対応しなければならない。形式上の国交は仕方ないが、感情の上では断交するものである。


コメント(抜粋ですが・・・)
さすが一万円札の方。 卓越した見解です。それにしても特亜は明治から変わっていないんですね


これに対し、天は人の上に人を造らず、と言いながら、福沢諭吉は差別論者だ、という言う知識人?もいらっしゃるようです。アジア人なのにアジアを蔑視しているとか・・・。私個人としては日本を代表する明治の一大啓蒙思想家だと思ってます。

諭吉さんは「職業に貴賎なし」とは考えてもいなかったし、述べてもいません。それどころか、「学問ノススメ」で、明確に「上人」(身分の高い人」と「下人」 (身分の低い人)を区別しています。だからと言って諭吉さんを差別論者というのはちょっと違うような…。


諭吉さんが言ってるのは
1.江戸時代までのように、出自により一生が決まるような閉ざされた社会ではいけない。
2.出自によってではなく、本人の能力、学問、努力により「上人」となれる開かれた社会でなければならない。
3.「学問」とは、詩歌を詠み、茶の湯をよくすることのみならず、今まで卑しいこと とされてきた商人の商売のやり方など、社会に大いなる利便を与える学問も「実学」として重要な学問であると認識すべきである。したがって、大きな商家を営む商人は、社会に多くの利便を与えて貢献しているので あるから「上人」である。


今の時代にあっては当たり前のようなことですが、まだ封建制が色濃く残る明治の時代に、そのようなことを述べた人です。民主主義者、合理主義者、その他いろいろ評価はあるようですが、アジアの中で日本の近代化を推し進めるにあたって、思想面でその中心的役割を果たし大きな力を与えた人物であることに間違いはないようです

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